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平成17年
1月の読書会

 



1月の読書会は宮沢賢治の「デクノボー」について、全員が発表し、それを基に話し合いたいと思います。

○テーマ(宮沢賢治の)「デクノボー」について

○1人5分で発表。内容は自由。

○時間がもっと必要な発表内容の場合は、1月27日(木)までに、熊谷まで連絡下さい。時間の調整をします。

文/熊谷えり子


追記:日時変更のお知らせ。

3月の定例会は、諸事情により27日(日)に行なうことになりましたので、ご連絡致します。


更新 H17 1/16
 

 

12月の読書会

 『春と修羅』(第一集)、遂にさいごの二篇となりました。冒頭の「屈折率」を読み始めてから、随分時が流れ、ふり返ってみると、何だか長い旅をしてきたような気分です。ありがとうございます宮沢賢治さん。遥か次元をこえて行く旅人の足跡を辿り、辿り、軽薄な旅行者さながらに風景もぼんやり霞んで賢治氏の姿も見失いがちではありましたが、とにかく終着駅に着きました。――「冬と銀河ステーション」、目もくらむ煌めき、さあ、これから何処へ行きますか?

 今年さいごの締めくくりは『春と修羅』アンソロジー。一人一篇を選んで、しみじみ語ってもらいます。今からとっても楽しみです。

文/熊谷えり子


『春と修羅』


「風景とオルゴール」の章
作品「イーハトヴの氷霧」
「冬と銀河ステーション」を読みます。


更新 H16 12/18
 


11月の読書会

 

 「一本木野」、ただ一篇のこの詩で〈自然〉の詩人、童話作家であるところの宮沢賢治の本質はよくわかる。自然と人が交感するかがやく世界がここにはある。もはやここは岩手県ではなくイーハトーヴォ、一本木野は永遠の地平へつづく野原であり、七時雨は一つの地名ではなくなっている。どこまで歩いたら、そんな野原があるのだろう。めくらぶどうのように限りない憧れをいだく。(虹さん。私をつれて行って下さい。どこへも行かないで下さい)。

 そんな頑なに思い詰めなくてもいいじゃないか。気軽なイーハトーヴめぐりのハイキングでも十分自然とふれあえるし、解放感あるんだから。・・・・だけど、そんなお気楽のひまに地球の荒地化は急ピッチで進んでいる。いいのですか?

 あなたは〈みどりいろの通信〉をもらいましたか、風穂の野はらで。それをもらえば荒地化は止められるし、緑の地球になると、たしかに賢治さんから私は聞きました。

文/熊谷えり子


『春と修羅』


「風景とオルゴール」の章
作品「一本木野」「溶岩流」を読みます。


更新 H16 11/10
 

 

10月の読書会

 

 作品は生きものです。それを見失う時、作品を読んでも何だか空回りして、どうしても出合えないような気持ちになってしまいます。私は幾度となく、いえ終始経験しています。9月の定例会では「火薬と紙幣」を読みましたが、その時、どうしてもさいごの一行「火薬も燐も大きな紙幣もほしくない」が、(作品のタイトルにもなっているし)、頭では解るのだけれども、でも上っ面で、よく分からないのです。ピカピカのイギリスの兵隊のかたちをした都会の軽薄な青年紳士を「山猫軒」に招き入れる賢治なのだから、近代文明の象徴、武器とお金を目のかたきにしているのはよく判るのですが、でもわからないのです。今にして思えば(アタマで考えれば)、その最後の一行の前の四行があまりにも賢治らしい激しく強いエネルギーに満ちていて、私自身があの時ついていけなかった為、最後の一行をとらえそこねて、ズリズリと落っこちてしまっていたのかもしれません。
 「ことば」とはそのことばの奥に本当のことばがあるのかもしれません。その本当のことばに触れるには(賢治の作品の場合には)、どうしたらいいのか、これからも私は必死にもとめていくばかりです。
 10月は「過去情炎」と「一本木野」を予定しています。「過去情炎」は一つぶの雫がどんなに美しいか、それを知っている人なら誰でもふれることが出来る美しい作品。「一本木野」もみどりの通信をもらう位、賢治らしい自然との交感をスケッチした作品。どちらもこの章では最も佳い作品であり親しみ易い作品です。でもどこまで自然と人の透明な明るさに満ちた極みに届くかは、読む人によって千差万別でしょう。

文/熊谷えり子


『春と修羅』


「風景とオルゴール」の章
作品「過去情炎」「一本木野」を読みます。


更新 H16 10/1
 

 

 5〜9月の読書会

作品  心象スケッチ 『春と修羅』

更新 H16 6/26


5月 「風景とオルゴール」の章 「不貪慾戒」からよみます。
6月 「風景とオルゴール」の章 「宗教風の恋」からよみます。
7月 「風景とオルゴール」の章 「風景とオルゴール」からよみます。
8月 「風景とオルゴール」の章 「昴」からよみます。
9月 「風景とオルゴール」の章 「第四梯形」からよみます。

 

 

4月の読書会

 

■ とうとう「オホーツク挽歌」の章も残すところ一篇だけになりました。こんなにも美しいサガレンの自然に出合わせてもらって、感謝するばかりです。
 人は苦しみを通ることでしか、魂を浄めることが出来ないようです。宮沢賢治は最愛の妹を喪った後の辛さ悲しさを乗り越えようと、どこまでも真っ直に心の極北まで追っていくことで、透明なサガレンの光と風、妖精の潜む花の香るこれらの詩篇をのこしてくれました。読む者も心を澄ましてゆかなくては受けとれない、心に染み通っていかない精妙な光を、これらの作品から感じます。
 
■ この章を終わるに当たり妹トシについて、山根知子氏の著書『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社)に資料として収録されているトシの書いた「自省録」から少し紹介する予定です。山根知子氏は宮沢賢治と妹トシの精神を講究するのに相応しい高い精神性と真摯で誠実な姿勢をもった方だと思いました。賢治研究書を読んで、久々に感動しました。

文/熊谷えり子


『春と修羅』


「オホーツク挽歌」の章
作品「噴火湾(ノクターン)」からよみます。

更新 H16 4/3
 

 

2・3月の読書会

 

 「無声慟哭」の章を終わり、次の「オホーツク挽歌」の章の核心「青森挽歌」を読み終えると、なんだか全身の緊張していた力がフゥーッと抜けるような気がします。
 ふと気がついて顔をあげると、前はオホーツクの海辺。岩手とは全くちがう風や空が、そして海が広がっています。ここにはサガレンの妖精がいるらしい、白い砂とまっ赤なはまなすの花、ぼんやり疲れの中で眺めていると、突然魂の傷口を刺されます。雲のつぎ目から

一きれのぞく天の青
強くもわたくしの胸は刺されてゐる
それらの二つの青いいろは
どちらもとし子のもってゐた特性だ


 「青」は賢治の色と私は思っていましたが、とし子の色だと言うのです。
 「オホーツク挽歌」群には、亡妹への想いが語られない詩篇もありますが、この旅の間中賢治は、決してとし子のことをひと時も忘れてはいないのです。
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
 まるで自身を天へつなぎとめるひとすじの光のように、この祈りの言葉はくり返されているからです。
 けれども本当はそれだけではなく、何よりも癒えぬ魂のいたみを優しく包帯で包んでくれるように癒してくれたのは、旅の中で出合った植物や波や風、なつかしい自然界であったようです。詩篇から感じるそれを、最もよく語っているのが、未完成の童話「サガレンと八月」の中の言葉です。最愛の妹を失って、賢治は更に深く自然界と出合っていったにちがいありません。

風や草穂のいゝ性質があなたがたのこゝろにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。

(「サガレンと八月」)

文/熊谷えり子

追記:3月の読書会は、作品「樺太鉄道」からです。

『春と修羅』


「オホーツク挽歌」の章
作品「オホーツク挽歌」からよみます。

3月は「樺太鉄道」からです。


更新 H16 3/9
 

 

12/1月の読書会

 

 月一回のこの「読書会」が、わがサークルの命です。メンバー全員でつくっています。前向きの姿勢で参加すべし。せめて読書会の90分間は、まん中の作品とそれを囲むサークルに、あなたを与えて下さい。ぶらさがりはダメ。「宮沢賢治の作品が好きですか?」好きならば、自分を支えるつっかえ棒を皆取り払って、飛びこめるでしょう?


 自戒をこめて、メンバーへの苦言

  

みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない

 「青森挽歌」より

 この二行のことばに、私はどれだけ近づけるのでしょうか。  

文/熊谷えり子    

今度こそ、「青森挽歌」全部読むぞ!!
(1月も引き続き「青森挽歌」からです。)

『春と修羅』


「オホーツク挽歌」の章
作品「青森挽歌」から


更新 H16 1/31
 
10/11月の読書会

  9月の例会では、一度「永訣の朝」を朗読して、その後今井さんが語句調べ、成内さんが大正11年11月27日の宮沢トシ臨終の様子を書いた資料を発表したところで終りました。 日本の最も美しい挽歌といわれる臨終の日の日付けをもつ三篇の詩(心象スケッチ)。最も暗く最も悲しいことが、なぜ最も美しいものになるのでしょうか。人間て、何て不思議なものなのでしょう。

 「永訣の朝」に書きしるされた トシさんのことば   

 あめゆじゆとてちてけんじや

 Ora Orade Shitori egumo

 うまれてくるたて
 こんどはこたにわりやのごとばかりで
 くるしまなあよにうまれてくる

美しい詩をひときわ美しくするこれらトシさんのことばは、このことば(方言)に対する宮沢賢治の「註」(標準語訳)とひとつになって、人間の魂がどんなに真善美なるものであるかを私たちのハートに刻みつけてくれます。
 短かいトシさんの人生の最期にひたたり落ちたことばを刻みつけることで、宮沢賢治自身の、いえ「人間」というものの美しさをこの挽歌は永遠にとどめたのです。

  文/熊谷えり子

追記:11月は詩「無声慟哭」からです。 (代記:成内) 

『春と修羅』
「無声慟哭」の章から。
更新 H15 11/28
 

 

9月の読書会

   

   (なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
ひとの名前をなんべんも
風のなかで繰り返してさしつかへないか      

(「マサ二エロ」より)

 日はまつしろにけむりだし
栗鼠は走りだす
   (・・・・・・)
  色鉛筆がほしいつて
  ステツドラアのみじかいペンか

(「栗鼠と色鉛筆」より)

 右の二篇を読み終わると、とうとう『春と修羅』全体の中の最大の山場、挽歌群の章「無声慟哭」へ入っていきます。宮沢賢治の心を辿るように一篇ずつ読み進めてい くと、この章に入るのがとても辛いような気持ちになります。最愛の妹トシの死、最 大の悲しみの中で、あくまでも己れの心を、魂の奥底までも厳しくみつめ尽くそうと する壮絶な姿――そこに私たちも立ちあわなければならないのです。どのように「無声慟哭」の章を読んでいくのか、私には予想も出来ません。


文/熊谷えり子       

  

『春と修羅』
「マサ二エロ」から、読んでいきます。
更新 H15 9/9
 

 

8月の読書会

 

 私は気圏オペラの役者です

この一行にどうしても立ち止まってしまいます。
心を澄ますと、生き生きとさわやかな呼吸をしている 美しい「心象スケッチ」、
それをまん中にしてみんなで語り合うひと時は、やはり一つの異次空間をつくります。
そうなるように月一回の読書会を大切にしたいと思っています。

文/熊谷えり子

 

『春と修羅』

「東岩手火山」 途中から

三つの提灯は夢の火口原の
白いとこまで降りてゐる
《雪ですか 雪ぢゃないでせう》

上の部分から感想を出し合いながら読んでいきます。

更新 H15 8/8