『木を植えた男』

ジャン・ジオノ 作/フレデリック・バック 絵/寺岡襄 訳
(あすなろ書房)


 

 

あまねく人びとのことを思いやる

すぐれた人の人格者の精神は、

長い年月をかけてその行いを見さだめて

はじめて、偉大さのほどが明かされるもの。

名誉も報酬ももとめない

広く大きな心に支えられたその行いは、

見るもたしかなしるしを地上に刻んで

はじめて、けだかい人格のしるしをも

しかと人びとの眼に刻むもの。

 

 律動感をもちながらもおごそかに響いてくる冒頭のこの言葉が、まさしくこのお話の本質を語っているように思います。

 時は1913年、プロヴァンス地方の荒野をさまよい歩き続けていた「わたし」は、ある羊飼いの男に出会います。「わたし」は寡黙なその羊飼いに心やすまる親切なもてなしを受け、「わたし」はその男のことを次第に知るようになります。

 彼は名をエルゼアール・ブフィエといいました。一人息子と奥さんを早く亡くしてから、なにかためになる仕事をして余生を過ごしたいと願った彼に思いついたのは、不毛の土地に生命の息吹きを蘇らせることでした。彼はひたすらどんぐりと苗木で木を植える仕事を続けていきます。そして「わたし」は彼と別れて再び旅立ちます。

 第一次大戦、第二次大戦を経て時代は流れていきます。服役から生きて還ってきた「わたし」は再びブフィエに会いに行きます。彼は相変わらずただ黙々と木を植え続けていました。そして「わたし」の目に映ったその光景の素晴らしさはいかようなものであったでしょうか。ブフィエがもたらしたものとは−詳しい続きはぜひ本書をお読み下さい。

 すぐれた文章は、言葉一つ一つに重みがあり、様々な思いを喚起させるものです。本書もそのような文章をもった一冊です。私もこの本から思いはいろいろ巡りますが、中でも、人間の存在の重みというものをどうしても考えさせられてしまいます。自然の尊さ、人間の尊さ−木々や森といった自然界がわれわれ人間にもたらす恵みがどれだけ大きく深いものかを思い知らされるだけでなく、その自然をはぐくむことができるのは人間であることもおしえられます。その一方で人間は戦争というとてつもない破壊行動も可能です。

 どちらを選ぶかは私たち人間一人一人の意志です。私は前者が人間の進む道と考え、そちらを選択したいと思います。本書を読んでいて、人間の為すべき敬虔な仕事とはこのようにして行なうものかと深い感慨を抱かずにはいられませんでした。

 「実在した忘れ得ぬ人物」についての原稿をアメリカの編集者から依頼されてジャン・ジオノが手がけたのがこの『木を植えた男』でした。しかし、エルゼアール・ブフィエなる人物が実在しないことがわかると、原稿は編集者から送り返されてきました。そこでジオノは版権を放棄し、原稿を広く公開することにしました。それがニューヨークのヴォーグ誌に掲載されることでこの作品は陽の目を見、さらに十数カ国に訳されて広く世界に知られるようになりました。

 それではジオノは嘘を書いたのか、とよく論議されることでありますが、ジオノの評論的伝記を書いたショネはこういいます。「南仏のアクセントでジオノが語ってくれる話をきくのは、いつでもほんとうに楽しかった。どれも事実と取るにはあまりに美しいが、かといって奇跡物語のようなふしぎな話ではない。創作したのか、潤色してあるのか、それとものほかの人には見えない物事の意味が詩人には見えるのか。それでよいのだ。記号の領域では現実と想像の区別はないのだから。」そして、ジオノ自身はこのように語っています。「わたしはすべてを創作するように心がけた。ただし、実在した何らかのものを語ることによってである。なぜなら、無から創造するなど神さまにしかできないことなのだから。」

 訳者の寺岡襄氏は、「神にも等しい創造をなしとげた一人の農夫の物語を、神話にも等しい叙事の言葉で語ることによって、ジオノは、プロヴァンスという地域を超え、二十世紀前半という時代をも超えた普遍性の高みに昇り、実在という嘘を超えた真実性を達成した」とこの作品を評価しています。私たちがすぐれた文章に心を打たれるのは、そこに「真実性」があるからなのでしょう。「真実性」にふれて共鳴し、「真実性」にもとづいて自らも生きたいと望む心を持つことも人間の尊さの一面であると思います。その「真実性」にみなさんご自身でふれてみてください。

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 あすなろ書房では、同じ寺岡襄氏の訳で絵本版とあすなろセレクト版と二種類の『木を植えた男』を出版しています。絵本版では本に合わせて多少文章が変えられたり省略されたりしています。フレデリック・バック氏の絵を存分に楽しみたい方は絵本版を、やや格調高い縦書きの文章から喚起されるイメージを大切にされたい方や寺岡氏のあとがきをお読みになりたい方はあすなろセレクト版をおすすめします。なお、こぐま社から原みち子氏の訳で『木を植えた人』としても出版されていますので、興味ある方はこちらもお読みになれば参考になるかと思います。

本の紹介/文・今井