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平成17年
11・12
月の読書会


月例会11・12月の予定 

11月 「二五 早春独白」
12月 「二一 痘瘡」、「二九 休息」

(「春と修羅」第二集を順番に読んでます)
「早春独白」は幾度か読むと、何てうつくしい作品なのだろうと気付きました。「あなた」と呼びかける農村の若い女性の美しさ、聖性すら帯びる奥ゆかしく初々しいそれは永遠の女性です。
 当時の農村の過酷な現実は、青春を謳歌する間もなく、女性の心身を痛めつけ、あっという間に老醜へ追いやります。でもこの心象風景では、まだ本当の春は来ていない「妖しい春」のみぞれのの中に、農村女性の刹那の美をとらえたのです。

その木炭(すみ)すごの萓の根は
秋のしぐれのなかのやう
もいちど紅く燃えたのでした

「わたくし」が視た紅い透明な炎は「幻」ではなく「まこと」ではなかったのではないでしょうか。農村の若い女性の美に視たものこそ、この二年後に着手する羅須地人協会の理想そのものであったと思います。
 宮沢賢治がなくなる前年に、こんな世の中に心象スケッチなどというものをかいているのは、美しいものがほしくてたまらないからだといっています(昭和7年母木光宛書簡421)。一生美しいものをもとめて、紅々(あかあか)と透明な火を燃えあがらせ、そうやって銀河鉄道やら肥料設計書らを書いたのだろうと思うと、何が良くて何が失敗だったと言えるのでしょうか。それよりも私たちがどれだけ美しいものをもとめているのか、誰でも自分に問わねばならないのはそれだけだと思うのですが・・・・。

   文/熊谷えり子

 


更新 H17 11/28

 


平成17年
10
月の読書会


月例会10月の予定 

「春と修羅」第2集「[一九]  塩水撰・浸種」から読んでいきます。
 一九二四、三、三〇 という同じ日付けが記された三篇「[十九] 塩水撰・浸種」「二一 痘瘡 」「二五 早春独白」、早春の詩(心象スケッチ)が続きます。凍りつく雪と氷にとざされる厳しい東北地方の冬、その後に訪れる早春、それはどのようなものなのでしょう。きびしい風土と生活の辛酸を経なければ、本当にはわからないものなのかもしれません。

まるで光と香ばかりでできてるやう
            ([一九] 塩水撰・浸種)

こゝらの乳いろの春のなかに
            (「二一 痘瘡 」)

   ……雨はすきとほってまっすぐに降り
     雪はしづかに舞ひおりる
     妖(あや)しい春のみぞれです……
             (「二十五 早春独白」)

 一行写してみても、何て美しいのだろうと予感します。三十年前賢治の童話の舞台を探しもとめてひたすら岩手の現地を歩きまわった金子民雄氏が、宮沢賢治の場合は他の作家とちがって、その作品の舞台を知ると十倍面白くなると語っています。童話に限らず詩もそうだと思います。
 けれども今ここで、私たちは全く東北の大地もそこに根付いた生活も知らずに作品を読んでいきます。どこまで作品に近づいていけるでしょうか。すべての人のふるさとの歌リラ自然音楽と万人共通語で語られる賢治童話こそ、私たちの大いなる味方ではありますが、安易にそれに甘えていてはなりません。私たちの早春の黎明の歌「種山ヶ原」(青木由有子作曲)だって、今も進化しつづけているのですから。

   文/熊谷えり子

 


更新 H17 10/8

 


平成17年
5〜6
月の読書会


月例会6月の予定 

 宮沢賢治は農学校教師時代を「じつに愉快で明るいものでありました。」(「序」)と言っている。今ちょうど散文作品「イギリス海岸」を読んでいるが、これにはそんな愉快な明るいものがいっぱいに流れている。
 その愉快さや明るさは、実は風景(自然)や生徒たちとの一体感によって、豊かにキラキラサラサラと、賢治の魂の中から湧き出てくるものなのだ。ひとことで言えばそれは「愛」、生徒への限りない無私無償の純粋な優しさである。もしも一人の子が溺れたら「死ぬことの向こう側まで一緒についていこう」とするし、百姓の仕事の中で一番辛い仕事「麦こなし」には、自分の総ての知識と能力を動員して面白くしようとする。宮沢賢治は天才文学者や立派な信仰者である前に何よりも目の前の人のためにひたすら献身する人間である。心象スケッチ(詩)には、ことさらそんな「愛」だの「優しさ」など書いてない。けれども風景の中に銀のモナドが満ち満ちているように、心象スケッチの中には精妙な愛の波動が満ち満ちているにちがいない。ああ、でもそれを少しもキャッチ出来ないならば、いくら心象スケッチを追ったって無意味じゃないか。そうならないように、日常生活を大切に、誠実に正直に……。

 6月の読書会は都合により「ニ 空明と傷痍」を7月以降にまわし、その次の作品「一四 [湧水(ルビ:みづ)を呑もうとして]」からやります。

   文/熊谷えり子

 


更新 H17 6/6

 


平成17年
3〜4
月の読書会

 
月例会4月の予定 

  新しい出発
 4月から『春と修羅 第二集』を読んでいきます。『春と修羅 第一集』をどうにかこうにか、皆で読みましたが、益々「謎」は深まるばかり。作品を読むことで立ちあらわれるもの、それは宮沢賢治であり、自然であり、万象であり、人々であり、自分自身であり、「宇宙」であり、そのどれでもないもの。それが読む私たちをパンチしたりカンドーさせたり色々でした。
 いったい、どのように作品に近づいたらいいのか私には分かりません。今私はどんどん小さくなって、海底の「ひとで」の気分です。でも「ひとで」にも一寸の魂(え、一寸の虫にも五分の魂だっけ)、その小さな魂ってやつが、ものすごく作品を読むのがうれしくて、ワクワクしているのも本当です。

わたくしはどこまでも孤独を愛し
熱く湿った感情を嫌いますので

                      〈春と修羅 第二集 序 より〉

 常に出発はひとり。4月の逗子の早朝は、ひんやりつめたいです。

4月30日の予定

○『春と修羅 第二集』はゼミ方式でやっていきます。(3月の月例会で作品の担当は決めました)
 メンバーの皆様宜しくお願いします。スタートにあたり、4月は今井さんに『第二集』を書いた賢治の二年間の伝記的なものをまとめて発表してもらいます。
 それから私も、大正13年から15年頃の空気をひとつまみ風船に入れて持っていきます。

   文/熊谷えり子

 


更新 H17 4/18

 


平成17年
2月の読書会

 
月例会2月の予定

「農民芸術概論綱要」(ちくま文庫10巻 P18〜P26)を読んで、一カ所(1行〜3行以内)を選び、

1朗読

2解釈

3感想

1〜3を合計5分間程度にまとめて発表してもらいます。
 ひとりひとりの発表が、小さな小さなけれども真実な白つめ草のあかりでありますように。

 今年中には『春と修羅』第二集に入りたいと思っています。(今は・・・・・・)

 第二集を読んでいくには相当体力をつけておかなくてはなりません。〈ケンジ〉につながりつつ、ひとりひとりが確実に「せいしんてきの白い火」の自家発電をおこないえるようになりたいです。

文/熊谷えり子


追記:日時変更のお知らせ

3月の定例会は、諸事情により27日(日)に行なうことになりましたので、ご連絡致します。


更新 H17 2/10

 


平成17年
1月の読書会

 



1月の読書会は宮沢賢治の「デクノボー」について、全員が発表し、それを基に話し合いたいと思います。

○テーマ(宮沢賢治の)「デクノボー」について

○1人5分で発表。内容は自由。

○時間がもっと必要な発表内容の場合は、1月27日(木)までに、熊谷まで連絡下さい。時間の調整をします。

文/熊谷えり子


追記:日時変更のお知らせ

3月の定例会は、諸事情により27日(日)に行なうことになりましたので、ご連絡致します。


更新 H17 1/16
 

 過去の読書会  H15年7月〜H16年12月まで

 

 

 

 

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